最低賃金で働くと健康で文化的な最低限度の生活ができない矛盾
健康で文化的な最低限度の生活
「生活保護」みなさん一度は聞いたことあるであろう
日本国憲法第25条に、"国が生活に困窮するすべての国民に対し、その困窮の程度に応じ、必要な保護を行い、その最低限度の生活を保障するとともに、その自立を助長すること"と記されている。
※支給される保護費は、地域や世帯の状況によって異なる
生活保護制度をあれこれ論じるつもりはここではないが、一番述べたいことは
最低賃金で働くと"健康で文化的な最低限度の生活"ができないということである
生活保護支給額
支給される保護費については地域や世帯等で異なるので一概には言えないが、簡単に試算できるサイトがあったので試算してみた
サイトによると、長崎県で受け取ることのできる生活保護費は「118,270円」である
最低賃金での月給
1日8時間を月に20日働いたとして、もらえる月給はいくらになるか計算するのは容易い
その金額「117,920円」である
システムとして矛盾してません?
健康で文化的な最低限度の生活に必要なのが「118,270円」に対して、最低賃金で働いた月給が「117,920円」なのだからもはやシステムとして成り立っていない
誰も気づかないんでしょうか?
そして、生活保護受給者には支払いを免除される多数の項目があります。一例をあげると、
・医療費
・年金や国保の支払い
・住民税
・水道料金の基本料
等々
つまるところ、最低賃金で働くと、健康で文化的な最低限度の生活なんて到底おくれないことがわかる
貧乏人は肝っ玉がすわっている
貧乏人は社会がこんな状態にも関わらず、出勤できる。なんの希望もない未来に子を残せる。
結局のところどうすべきかなんてのは決まっている
自身の市場価値を上げていくしかない
市場価値のない人間が、最低賃金で生活保護受給者よりさらに厳しい生活を余儀なくされる
いかにそこに自分が入らないようにするかが重要である
そしてこれは余談だが、私の見てきた限りスーツを着ていかにも高給とってそうな人間でさえも、たいして市場価値なんてないものである
自分の絶対的な市場価値なんて決まらないし、結局は一時の運とタイミング次第なのであろう